これからは四角手拭が新しい。
猛将・島津義弘が使用した「丸十字」の旗印を再現。「丸十字」は厄除けの縁起紋です。三河木綿を天然染料による草木染で全工程手作業により仕上げました。和風のバンダナとして使用して下さい。天然染料使用の手染めならではの、色柄むらが独特の味わいです。 |
商品名: 四角手拭 丸十字
素材: 三河木綿(麻混)
色:菖蒲色
大きさ:60×60cm
職人: 柴田晶子 |
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島津義弘は、島津貴久の二男で、島津家十七代当主。猛将として名高く、21歳の時の大隅岩剣城攻めから66歳の時の関ヶ原の戦いまで、45年間で52回の合戦に臨み多くの戦功を上げ、九州制圧の戦いで大活躍しました。また関ヶ原の戦いでの、家康本陣に突入して戦陣を脱出した逸話は有名です。当初1000名した兵は、脱出時にはわずか200名ほどになっていました。関ヶ原の戦いの後、家康は島津氏の本領を安堵しました。家康は、島津義弘の死に物狂いの戦いぶりを見て、刺激することを避けたともいわれています。
その勇武英略の名将・島津義弘が使用した旗印を再現しました。 |
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「見えた見えたよ松原越しに
丸に十字の帆が見えた」鹿児島小原節の一節です。
島津家の十字紋の由来には幾つかの説がありますが、最も有力なのが「竜説」です。タテ、ヨコの線は2疋の竜を表しています。一は昇り竜で、一は降り竜。この家紋は、清和天皇が六孫王に源性を賜ったとき、ともに賜った2疋竜の変形である、と「島津国史得仏公」に記されています。また、厄除けのマジナイの意味もあります。「吾妻鏡」には、将軍が富士の牧狩りのとき士卒に十字を賜ったという記述があります。また日本各地に今も残る風習として、饅頭に紅で十字をつけ吉事に贈り、餅を焼く時に火箸で十字を描いたり、赤ん坊のオムツに十字を糸で縫いつけたりします。秋田地方では、子供が外出するときに、親が子供の額に十字を切る風習があるそうです。元来、日本以外にも十字はマジナイの意味として使われていました。現存している最古の紋は、島津家の祖の忠久着用の甲冑にみられます。
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菖蒲(しょうぶ)=勝負・尚武に通じるということで、武家の男子に関して菖蒲が使われるようになりました。水辺に生育する香気が強くて葉の間に肉穂状の花をつけるサイトイモ科の菖蒲は、邪気を祓うといわれ、5月5日の端午の節句に軒に挿され、風呂に入れたりします。また菖蒲は、漢方で薬用として用いられ、根茎を掘って天日に干したものを「菖蒲根」といって神経痛やリウマチをはじめ腰痛にいいと言われています。端午の節句のときに「菖蒲湯」に入るのも薬湯としての効果もあるからと言われています。
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古代の染料のほとんどが漢方の生薬であり、内服しても効果のあるものばかりです。毒草でそめたものはひとつもありません。危ないものは家に持ち込まないというのが、昔のくらしの鉄則でした。昔の染料は体にいいのです。色のはじめは薬です。衣類は肌につけ身を守るものだから、すこしでも体に良いように、また虫がつかないようにと植物を選び、色を選んで染めたのが染色のはじまりです。昔の人は植物によって身を守れるという知恵を、日々の経験によって培ってきたのです。
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手拭の歴史は意外に古く、古代には儀礼装身具として使用されていたそうです。古墳から発掘された埴輪にも鉢巻として使われているのが見られます。その後鎌倉時代になると、庶民の間に普及してきた様子が文献に見て取れます。戦国時代、兜の下の汗よけとして武士に便利に使われるようになります。江戸時代に入ると今のような様々な柄や色の手拭へと進化していき、江戸の初期、寛永時代(1624〜1644)の文献では、歌舞伎に手拭が登場します。町人においては、髪を結い上げた時代における、土埃を除ける実用面の部分と、現在の帽子やスカーフのように粋な手ぬぐいで髪を包むという、町人のおしゃれ的意味合いと二つの面を持ち合わせていました。江戸時代も進むにつれて日常的な生活用具としての実用と、お洒落を兼ねたものと変化を遂げていったのです。
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甚六は、キャップにかわる新しいかぶりものとして手拭を選びました。通常の手拭は、生活用具としての意味合いが強く、極端な横長サイズです。甚六は、どこまでも頭にかぶる手拭としてのみ使用するため、正方形にしました。生活用具としての手拭ではなく、粋なお洒落としての手拭を追求しました。そして男女共に使えるよう、60×60cmのフリーサイズにしました。頭の大きい方でも大丈夫です。
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日本における綿織物の発祥の地、愛知県三河地方。温暖な気候という恵まれた環境の中、室町時代から綿織物が生産され、江戸時代にはすでに日本の三大生産地として名を馳せました。甚六の四角手拭には、その三河木綿を使用しています。普段私達が目にしている白色の布は漂白された色です。甚六では、昔ながらの自然の風合いを大切にしたいと考え、あえて漂白していません。
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「草木染」とは、化学(合成)染料を一切使わず
植物などの天然染料のみで染色したものを言います。1930年、合成染料と区別するため天然染料を使った染色は「草木染」と命名されました。古来からの日本の色を伝承しながら合成染料はいっさい使わず植物染料などの天然染料だけを用いた染色。奥深い、自然から色をいただく草木染です。草木染の魅力は、自然な色との出会いであり染色という技によって得られる色の不思議です。植物の種類はもちろん、草木を摘む時期、染色する季節などによって、染まる色は違います。表面から見た色とは、全く別の色を発したり、技法によって、色が変わることもあります。草木染には、自然とふれあう心地良さ自然の色が織りなす不思議な魅力があります。
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草木染しかなかった時代に書かれた万葉集、古事記などの中には、色によって物事を表現する華麗さがありました。その華麗さを取り戻し、日本の彩の中で生活するために日本古来の彩を再現し、伝えていきたいと考えます。現在ある色の多くは、太古からある草木染の色を基本にしています。人工の化学染料等は、草木染の色を基に多くの色をつくりだしました。すべての色の原点は草木染にあるといえます。
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草木染に使う天然染料の多くは、桜や梅、茜、マリーゴールド、くぬぎ、一位、冬青、ざくろ等植物染料の枝や根、葉、幹材、皮、花、実、そして五倍子やコチニールなどの動物染料を水から煮出して染料として使います。3度以上重ねて染めていくことでより高い堅牢度と深い色合いを得ることができます。生の藍の葉やマリーゴールド、ウコン、紅花などは当房の畑で毎年育てています。室外用暖簾や日除けなど日に当たるものに関しては、墨や紅などの天然顔料を用いて染めています。藍染は、現在3甕ある木灰建藍で染めています。なかには石灰、ふすま、スクモ、灰汁しか入れていません。スクモは良質とされる北海道から仕入れています。
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写生から図案を作り、渋紙(柿渋が塗られた美濃和紙:防水効果大)を彫り型紙を作ります。彫った部分が壊れない様に絹の紗を張り(紗張り)、餅粉・糠・塩・石灰・湯を練り糊を作り上げ、布の上に型紙を置いてへらで糊を置きます(糊置き)。乾かしてから、引き染めをし、もう一度引き染め、そして媒染を引き、最後にもう一度引きます。1回に4回ぐらい刷毛が通るので、×4回で、16回ぐらいは染めていくことになります。全ての工程後に水洗すると糊だけがとれて、型紙で彫った部分が染まらずに防染されて模様になります。その後必要であれば、染料を煮詰めたものや天然顔料を使い筆でひとつひとつ色差しをしていきます。
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当商品の草木染の色止め(媒染剤)には、天然明礬石、酢酸アルミニウム、椿灰汁、木酢酸鉄を使用しております。他の媒染剤は色の変化を促す炭酸カリウム又は木灰しか使用しておりません。型染の糊についても、小紋糠、餅米粉、湯、石灰、塩を混ぜて手作りしております。灰については、薪ストーブでせっせせっせと作っている手作りです。
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一枚一枚、職人が植物を中心とした天然染料と手染めで染色を行っています。ですから一枚として同じものはありません。色むらもあります。それが手染めの魅力です。化学染料を使い、機械で染めれば寸分の狂いもなく色落ちもしない製品が作れます。しかしそこには、”味”や”面白さ”、そして何より”温かさ”がありません。また、洗濯の際に色が落ちたとしてもそれが当たり前で自然のことなのだとお考え下さい。甚六は、手染めにこだわりました。むらや色落ちを味とご理解下さるお客様にお買い上げ頂きたい一品です。
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| 四角手拭
丸十字 |
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| ・商品番号: |
1302 |
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・素材:
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三河木綿(麻混) |
| ・色: |
菖蒲色 |
| ・大きさ: |
フリーサイズ(60×60cm) |
| ・備考: |
天然染料による手染め為、色柄にむらがあります。 |
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