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これからは四角手拭が新しい。
武士に愛された縁起紋「釘抜」と海松色を合わせました。三河木綿を天然染料による草木染で全工程手作業により仕上げています。和風のバンダナとして使用して下さい。天然染料使用の手染めならではの、色柄むらが独特の味わいです。

商品名: 四角手拭 釘抜
素材: 三河木綿(麻混)
色:海松色
大きさ:60×60cm
職人: 柴田晶子


 
釘抜紋を用いた武将として名高い堀秀政。秀吉の死後、家康、利家の次の世代で天下人の器量があったといわれていたのが、蒲生氏郷と堀秀政。13歳の若さで織田信長の小姓、側近として取り立てられ、弱冠16歳で、将軍足利義昭の仮住まいの本圀寺の普請奉行を担うなど、各種の奉行職を務め、側近としての地位を確立しました。秀政は次第に奉行職だけでなく戦場でも活躍するようになり、天正九年(1581年)に近江国坂田郡に2万5000石を与えられた。本能寺の変が起こって信長が死去したとき、秀政は秀吉の軍監として備中国にいました。その後、中国大返し、山崎の戦い、賤ヶ岳の戦い、小牧・長久手の戦い、小田原攻めと常に秀吉を助けて、その覇業確立のために大きく貢献しました。信長や秀吉が秀政を寵愛したのは、才能に優れていたほかに、秀政が美童だったからだとも言われています。そのため、森蘭丸が信長に重用されるようになるまでは、側近として絶大な権力を与えられていたと言われています。また、秀政の才を愛していた秀吉は、小田原征伐が終わり次第、秀政に関東を与えようと考えていたと、「名将言行録」では記されています。

「一に釘抜、二に二瓶、三本傘に四つ目結・・・」と、歌われている通り、釘抜が「紋づくし」の一番に出ているのは、一柳氏の「一」をあらわしています。
天正18年3月、太閤秀吉が小田原の北条氏政を征伐したとき、「この度の山中城攻めの先陣は誰が承わるか」と尋ねたが、諸将は無言で控えていた。一柳直末が末席より「それがしが承賜わる」と申し出たので、秀吉大いに驚き「勝算はあるか」と聞くと、「九城(くき)を抜く、釘抜の家紋にかけましても」と決心を申し述べた。「九城を抜くとはめでたい。汝の家紋に免じて伊豆一国を進ぜよう」と秀吉は喜んだ。この後、一柳の釘抜紋はにわかに諸将の間に評判になり、「美濃竹鼻の釘抜は柳ひとつで九城を抜く」と囃された。一柳家の先陣が突破口となり、山中城は陥落しました。
「九城を抜く」=「釘抜」、つまり九つの城を落城させるという戦勝の縁起から多くの武将が家紋に用いました。江戸時代以降、幕臣では90余家が用いています。
また、「苦を抜く」という意味もあります。



海松色(みるいろ)とは、海の浅瀬の岩に生える海藻、みるめの色からきている名前です。海松は、緑藻類ミル科の海藻で礎や岩石に着生し、「万葉集」や「風土記」などにもその記述があります。色として現れるのは平安時代以降です。オリーブ系統の色名を持たなかった日本では、海松色という色名は貴重なもので、この幽暗でクールな色調は中世において鎌倉武士に好まれました。江戸時代になってからも、渋い印象の色であるために好まれ、「海松茶」という茶色掛った海松色もありました。井原西鶴の日本永代蔵「せけんのしゃくやたいせう」には若い頃に流行に乗って「海松茶」に染めた(染め返しが聞かない)絹の着物の事を何十年経っても残念がる倹約家の男が登場します。


古代の染料のほとんどが漢方の生薬であり、内服しても効果のあるものばかりです。毒草でそめたものはひとつもありません。危ないものは家に持ち込まないというのが、昔のくらしの鉄則でした。昔の染料は体にいいのです。色のはじめは薬です。衣類は肌につけ身を守るものだから、すこしでも体に良いように、また虫がつかないようにと植物を選び、色を選んで染めたのが染色のはじまりです。昔の人は植物によって身を守れるという知恵を、日々の経験によって培ってきたのです。



手拭の歴史は意外に古く、古代には儀礼装身具として使用されていたそうです。古墳から発掘された埴輪にも鉢巻として使われているのが見られます。その後鎌倉時代になると、庶民の間に普及してきた様子が文献に見て取れます。戦国時代、兜の下の汗よけとして武士に便利に使われるようになります。江戸時代に入ると今のような様々な柄や色の手拭へと進化していき、江戸の初期、寛永時代(1624〜1644)の文献では、歌舞伎に手拭が登場します。町人においては、髪を結い上げた時代における、土埃を除ける実用面の部分と、現在の帽子やスカーフのように粋な手ぬぐいで髪を包むという、町人のおしゃれ的意味合いと二つの面を持ち合わせていました。江戸時代も進むにつれて日常的な生活用具としての実用と、お洒落を兼ねたものと変化を遂げていったのです。

甚六は、キャップにかわる新しいかぶりものとして手拭を選びました。通常の手拭は、生活用具としての意味合いが強く、極端な横長サイズです。甚六は、どこまでも頭にかぶる手拭としてのみ使用するため、正方形にしました。生活用具としての手拭ではなく、粋なお洒落としての手拭を追求しました。そして男女共に使えるよう、60×60cmのフリーサイズにしました。頭の大きい方でも大丈夫です。



日本における綿織物の発祥の地、愛知県三河地方。温暖な気候という恵まれた環境の中、室町時代から綿織物が生産され、江戸時代にはすでに日本の三大生産地として名を馳せました。甚六の四角手拭には、その三河木綿を使用しています。普段私達が目にしている白色の布は漂白された色です。甚六では、昔ながらの自然の風合いを大切にしたいと考え、あえて漂白していません。

「草木染」とは、化学(合成)染料を一切使わず 植物などの天然染料のみで染色したものを言います。1930年、合成染料と区別するため天然染料を使った染色は「草木染」と命名されました。古来からの日本の色を伝承しながら合成染料はいっさい使わず植物染料などの天然染料だけを用いた染色。奥深い、自然から色をいただく草木染です。草木染の魅力は、自然な色との出会いであり染色という技によって得られる色の不思議です。植物の種類はもちろん、草木を摘む時期、染色する季節などによって、染まる色は違います。表面から見た色とは、全く別の色を発したり、技法によって、色が変わることもあります。草木染には、自然とふれあう心地良さ自然の色が織りなす不思議な魅力があります。

草木染しかなかった時代に書かれた万葉集、古事記などの中には、色によって物事を表現する華麗さがありました。その華麗さを取り戻し、日本の彩の中で生活するために日本古来の彩を再現し、伝えていきたいと考えます。現在ある色の多くは、太古からある草木染の色を基本にしています。人工の化学染料等は、草木染の色を基に多くの色をつくりだしました。すべての色の原点は草木染にあるといえます。

草木染に使う天然染料の多くは、桜や梅、茜、マリーゴールド、くぬぎ、一位、冬青、ざくろ等植物染料の枝や根、葉、幹材、皮、花、実、そして五倍子やコチニールなどの動物染料を水から煮出して染料として使います。3度以上重ねて染めていくことでより高い堅牢度と深い色合いを得ることができます。生の藍の葉やマリーゴールド、ウコン、紅花などは当房の畑で毎年育てています。室外用暖簾や日除けなど日に当たるものに関しては、墨や紅などの天然顔料を用いて染めています。藍染は、現在3甕ある木灰建藍で染めています。なかには石灰、ふすま、スクモ、灰汁しか入れていません。スクモは良質とされる北海道から仕入れています。



写生から図案を作り、渋紙(柿渋が塗られた美濃和紙:防水効果大)を彫り型紙を作ります。彫った部分が壊れない様に絹の紗を張り(紗張り)、餅粉・糠・塩・石灰・湯を練り糊を作り上げ、布の上に型紙を置いてへらで糊を置きます(糊置き)。乾かしてから、引き染めをし、もう一度引き染め、そして媒染を引き、最後にもう一度引きます。1回に4回ぐらい刷毛が通るので、×4回で、16回ぐらいは染めていくことになります。全ての工程後に水洗すると糊だけがとれて、型紙で彫った部分が染まらずに防染されて模様になります。その後必要であれば、染料を煮詰めたものや天然顔料を使い筆でひとつひとつ色差しをしていきます。

当商品の草木染の色止め(媒染剤)には、天然明礬石、酢酸アルミニウム、椿灰汁、木酢酸鉄を使用しております。他の媒染剤は色の変化を促す炭酸カリウム又は木灰しか使用しておりません。型染の糊についても、小紋糠、餅米粉、湯、石灰、塩を混ぜて手作りしております。灰については、薪ストーブでせっせせっせと作っている手作りです。

一枚一枚、職人が植物を中心とした天然染料と手染めで染色を行っています。ですから一枚として同じものはありません。色むらもあります。それが手染めの魅力です。化学染料を使い、機械で染めれば寸分の狂いもなく色落ちもしない製品が作れます。しかしそこには、”味”や”面白さ”、そして何より”温かさ”がありません。また、洗濯の際に色が落ちたとしてもそれが当たり前で自然のことなのだとお考え下さい。甚六は、手染めにこだわりました。むらや色落ちを味とご理解下さるお客様にお買い上げ頂きたい一品です。




 
四角手拭 釘抜
・商品番号: 1301

・素材:

三河木綿(麻混)
・色: 海松色
・大きさ: フリーサイズ(60×60cm)
・備考: 天然染料による手染め為、色柄にむらがあります。
・価格: 4,900円(税込)
・色:
・大きさ:
・個数:
 
※大きさはありませんので「-」のままご注文下さい。