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銀伝説 〜銀は龍の如く〜
島根県の石見銀山に伝わる伝説に、昔筑前の神谷寿禎という男が、石見の沖を船で通ったとき、南の山を見ると”赫然たる光”が見えた。そこで船子に尋ねると、あの峰は昔銀が出たところで、銀峰山といい時々不思議な霊光が見えるが、今夕のはいつもより十倍明るい。再び銀が出る奇端ではないか、と教えられた。そこで神谷が銀峰山の谷を探して発見されたのが石見銀山の始まりだという伝説です。佐渡にも似たような話が伝わっています。越後の茂左衛門という商人が、夜中に船で佐渡の沢崎沖を通りかかったとき、”真鉄吹く炎のような光”を見たので、怪しんで船をつけ、奥山を探してみつけたのが、佐渡の鶴子銀山であるという言い伝えです。江戸時代最高の鉱山学者の佐藤信淵は『山相秘録』の中で、山に埋蔵されている金属から蒸発する精気がある、と述べています。そして銀の精は龍の如く、青白色で最初発生するときは煙のごとし。しばらくすると雲中龍のあるがごとき形になり、昇ること十余丈または二十丈ばかりで、ついに上天するように空中に散ずる。あるいは初め発するときに声が聞こえることもあるといいます。銀は太古の昔よりその神秘的な力を信じられてきたのです。

神聖な金属 銀
銀と人との関わりはとても古く、紀元前三千年ごろには、すでに銀が使われていたと言われています。なぜ世界中の民族が銀を愛し、様々なものを作られてきたかといえば、銀は神聖なるものと考えられていたからです。実際、銀には水や食べ物の腐敗を防止したり、殺菌作用があるとされています。ドラキュラを倒すには、”銀の十字架や銀の弾”が必要といわれ、赤ちゃんが最初に銀のスプーンで食事をすると一生食っぱぐれないと言われています。ある国では、牡蠣を煮るのに銀のスプーンと一緒に煮て、スプーンが黒くなったら毒があるからとして、捨ててしまいます。王様の毒味は銀食器で行なわれ、山岳民族の身体は銀の装飾品で飾られます。


武具としても使われた根付
  火薬入れの象牙の根付
根付とは、小さな中に精緻な細工がほどこされた、彫刻品です。もともとは、江戸時代、武士や町人たちが、巾着や煙草入れ、印籠などを帯に吊るす時につけた滑り止めのための小品でした。「提げもの」と呼ばれる袋ものや印籠の図柄などとの組み合わせで、デザインやモチーフによる遊びやひねりも楽しみました。粋な男性の装飾品でした。国宝・松本城内で展示されている戦国時代から江戸時代にかけての武具のなかには、根付の原型が保存されています。左の写真は、火縄銃に用いる火薬入れです。松本城天守閣で展示されています。戦場では鉄砲隊の足軽の腰に付けて携帯しました。蓋の先には根付がついています。鉄砲隊が火薬入れを腰に携行するため、このような原始的な根付が使われたのでしょう。形は原始的な角形や円盤の饅頭根付が主ですが、それぞれの材質は、象牙、鹿角、骨が使用されています。昔から様々な材質が既に使用されていたことが分かります。


生活用具とお洒落を兼ねた日本の粋 手拭
手拭の歴史は意外に古く、古代には儀礼装身具として使用されていたそうです。古墳から発掘された埴輪にも鉢巻として使われているのが見られます。その後鎌倉時代になると、庶民の間に普及してきた様子が文献に見て取れます。戦国時代、兜の下の汗よけとして武士に便利に使われるようになります。江戸時代に入ると今のような様々な柄や色の手拭へと進化していき、江戸の初期、寛永時代(1624〜1644)の文献では、歌舞伎に手拭が登場します。町人においては、髪を結い上げた時代における、土埃を除ける実用面の部分と、現在の帽子やスカーフのように粋な手ぬぐいで髪を包むという、町人のおしゃれ的意味合いと二つの面を持ち合わせていました。江戸時代も進むにつれて日常的な生活用具としての実用と、お洒落を兼ねたものと変化を遂げていったのです。


日本で発明された扇子
うちわの成立は、紀元前の中国で用いられたという記録が残っています。また、古代エジプトの壁画にも、王の脇に巨大な羽根うちわを掲げた従者が侍っている図があります。うちわは文明発祥時から存在する古い物であり、日本へは7世紀頃に伝来しました。その後、うちわを折り畳んで携帯に便利な扇子にするというアイデアは、8世紀頃の日本で発明されました。扇子の着想は、一説には、木簡を束ねて一端に穴を開け、紐などで繋いだ物が起源であるとされています。武士階級では刀と同じ物と解釈され尊ばれました。戦国武将の肖像画の多くに扇子が描かれていることからも、武士にとって扇子は必需品であることが伺えます。また、江戸時代になってからは、武士が切腹する際、刀ではなく扇子で代用されました。